故に何も無し

初めまして。この度、ブログを始めました。
突然ですが、自慢話をさせていただきたい。
自慢話なんぞ、自分が気持ち良く雪纖瘦なる一方で、聴いている相手方は滅法気分が悪くなるということは百も承知ですが、それを知ったうえでの自慢話であります。

しかしながら、100人いれば100人が自慢話を聴いて気持ち悪くなるわけではありません。
純粋無垢な心の持ち主ならば、自慢話を聴いた時、或いは一読した時に、「へぇ、凄いなぁ」と目をまぁるくして感嘆してくださるでしょう。それは素晴らしく清い心だと私は感じ、私はそういった人が胸が弾ける程に好きであります。
私はそんな純粋無垢な人に自分の自己顕示欲をブチマケタイのであります。

自己顕示欲をぶつける時、それは自己顕示欲の雪纖瘦強い人からすると絶えられない程の嫌悪に限るかと思われます。ちなみに、純粋無垢な人には自己顕示欲などという汚らわしいものは皆無なのであります。 だからこそ、私が自己顕示欲をぶちまけたとしても、素直な気持ちで受け入れてくれるのであります。
私は自己顕示欲が強いですが、同じように自己顕示欲の強い人(要するに純粋無垢では無い汚れ人)が聊(いささ)か苦手であります。
それは同族嫌悪の類でありますが、自己顕示欲というそのものが罪であって、人間というのは自分で自分の罪には気付かないものでありますが、相手の罪は敏感に察するのであります。
つまり、自己顕示欲の強い人にとって自分の自己顕示欲といふものは、神聖なる何か(と勘違いしている)であり、他人の自己顕示欲といふものは、邪悪なる罪でしかない(そう感じる通り、それが真実)のであります。

しかしながら、私は自己顕示欲以外にもぶちまけたいこと、伝えたいことがあるのですが、むしろそれこそがメインであり、自己顕示欲を満たすというのは付録のようなものでありますが、しかしながら、いつも自己顕示欲が先立ってしまい、我ながら罪深いものだと感じる次第であります。
本当に伝えたいことというのは、自己顕示欲と相反するもの雪纖瘦であって、だからこそ私は矛盾と葛藤を日々覚えます。しかし、それこそが、その矛盾と葛藤で苦しむことこそが、生きている、ということではないでしょうか。などと言ってみましたが、自信はてんでありません。

この記事へのコメント