眠くなってきた

とても教養高く、古今東西の文学をはじめ、芸術のことを幅広く、
さらっと、ときにはユーモアをまじえ、紹介されている。
その幅の広さ、すいすい、すらすら、あふれんばか堅持夢想りに湧き出る教養・・・
素晴らしすぎて、憧れを通り越して・・・
いくつもいくつも続けざまに、読んでいると、眠くなってきた。

つまり、わたしのアタマは、教養は、ぱらぱらっとフリカケる程度、アクセサリー程度だということだ。
ちょっとアクセントに、見栄えがいいように、ちらつかせる程度で、中身はない、ということが、よくわかる。
教養だけでなく、社会の出来事や、その他、モノ識り系は、
すべて、ちょちょいっと、うわっつらだけを、どこかから盗んできたような、そんなかんじだ。
外側が薄く、中身はほとんど無い。

なので、しっかり中身の詰まったものに憧れる。
しかし、がっつり向き合うと眠くなる。
わたしの人生そのものだ。
これをミーハーという。

教養のエッセンスをぎゅぎゅっと詰め肝硬化込み、きりっと〆たいのに、ぜんぜんだ。
スカスカ、締まりがない。
もともと教養の中身がないのに、多用、引用したがることで、墓穴を掘っている。
いちばん、わたしが恥ずかしいと感じることを、自分自身がよくやっていて、
しかも、マチガイに気付かず放置していることも非常に多々ある。

一日中、スカートのファスナーや、背中のボタンを止め忘れ、開けっ放しで、大勢の人の目に触れ外出しているようなものだ。
家に帰ってきて、顔から火が出る・・・が、もう、時遅し。
そういうこと、思い出しただけで、すこぶる、いっぱい、たくさんあり、顔が熱くなりすぎて、
最近では、同じアツい顔でも、厚顔に変更しつつある。
(いや、厚顔は、生まれつきでもある)

努力をしないで、見かけだけカッコを王賜豪醫生つけている教養や行動に関しては、
べつに、「あほで~す」でも、どおってことないのだが(自意識レベルが低い)、
最近、社交ダンスの頭打ち、停滞で気付いたことがある。

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